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背負えますか?
2007/11/04(Sun)
 思想系をネットで語るのはあまり良くないと思うので、もしかしたらさくっと消すかもしれないけど。
 凶悪な殺人事件の遺族(遺族を支援する方々?)が被告の極刑を望む署名を集めた、というニュースを2つほど見ました。かなりの数が集まってるのを見て驚きましたが、ネットで集めたと聞いて、納得した反面、複雑な気持ちになりました。
 凶悪事件に怒りを覚えることも、被害者や遺族を思いやることも、共感したからなのかもしれません……が、それだけで、他人の死を求められるのか、と。

 高校の現代社会の授業だったかな、死刑執行人さんの新聞記事を読んだの。(当時の記事なので、今は方法など違うかもしれませんが)3つあるボタンを3人で同時にボタンを押して、誰が執行したかわからないようにしている。そして全員に一時金(?)が出るけど、そんなお金はその日のうちに飲んで使っちゃう、というような記事。
 人を極刑に処すということは、被害者や遺族にとっては積年の恨みを晴らす機会なのかもしれないけど、赤の他人がその死を背負うには思すぎるんだな、と感じたものです。

 私だって人間だし、そんなに心も広くないから、大事な人が殺されれば絶対犯人を憎むだろうし、その人が極刑になっても「せいせいした」としか思わないかもしれない。自分自身がそうなのだから、当事者がそう思うこともわからないわけじゃない。死刑制度への疑問はあるけれど、被害者やその身近な方々が極刑を望むことは「自然な感情」のひとつだと受け止めています。
 でも、テレビや新聞やネットで見聞したニュースだけで、さして面識もない人のために、被告人を極刑にしてほしいとは署名することは別。「極刑を望む署名」=「(必ずしもよく知らない人のために、やはりよく知らない人の)死を願う」というのは「怖い」です。私はそこまで「人の命」を背負えないから。

 署名する方々は、どんな気持ちで名前を連ねているのでしょうね。聞いてみたいような、聞くのが怖いような、複雑な気持ちです。

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