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思い出の不在
2009/09/20(Sun)
 この話を聞いて少し時間をあけたので、そろそろ書いてもいいかと思って。
 私のことではなく、一時期交流のあった、ある人の話です。

 友人の知人であるこの人を、仮にAさんとしましょう。
 Aさんに言われた話で、私にとっては衝撃的すぎたことがあります。この方は、こう話していました。

 「10歳くらいまでの記憶がほとんど無い」と。


 断っておきますが、Aさんは記憶喪失とか、そんなんじゃありません。頭の弱い人でもありません(むしろ中学受験から一貫して超エリートコースをたどってきた秀才タイプ)。ただ、幼少時の記憶が残っていないんだそうです。小学校までいじめにあったりしていた影響もあるのかもしれません(小学校高学年から塾に通いはじめたそうだから、記憶の残りはじめた時期も一致するし)
 Aさんは、苦しみを語る人ではありませんでした。幼い頃にいじめにあった、というのもちらっと漏らしただけで、「いじめられて苦しかった」とか「人間が嫌いだった」とか、そんな話は一度もされませんでした。
 穏やかに笑う人で、中学時代以降の話はたくさん話してくれたし、それらは聞いていてとても楽しかった。

 だからこそ、かな。
 そんなごく普通に見える人に、過去の記憶がない、と聞いて驚いたのは。


 私も幼稚園時代の記憶はほとんどありません。幼稚園や家で遊んでいた記憶はおぼろげだけど悲しい気持ちになることは全くないし、母に「覚えていないのは幸福な幼稚園時代だったからだ」と言われて、心底それを信じていました。
 小学校入学以降の記憶は、他人から見たらどうでもいいような些細な記憶がいっぱい残っています(そういうことにばかり記憶力を発揮する・笑)。そして、そのささやかな「思い出」をたくさん覚えていることに幸福と誇りを感じています。

 でも、それって、とても贅沢で、傲慢なことなのかもしれないんですね。
 記憶が苦しみにしかならない、ということを考えたことがなかった。正直、いまだに実感はわきません。私はむしろ「記憶」にすがって生きる方だし(残念ながら)
 あまりに自分の信じてきたことと違う人がいる、という事実に、愕然としました。


 私が思い出を大事に抱えて生きるのは信念だから、多分変えられない。
 でも、「思い出」はすべての人にとって美しいものではない。忘れないといけないものもある。それは決して「逃げ」ではない。今は交流のない方ですが、Aさんの話が与えてくれた衝撃と、その衝撃をもとにいろいろ考えたことは、かけがえのない財産です。

 願わくば、Aさんのこれからの人生は、やさしい思い出として残るものがいっぱいありますように。

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