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国民の映画
2011/03/19(Sat)
 更新遅れたけど、観た日の日付で書きます。
 三谷幸喜さんの舞台『国民の映画』を見てきました。震災後、演劇作品は上演続行・中断とくっきり分かれているのですが、三谷さんの舞台は上演を続けています。見に来られないお客様がいるのは事実ですが(完売のはずなのに、ちらほら空席が目立ったから)
 私が見た日じゃないのですが、三谷さんは上演前の観客へのご挨拶で「上演をやめたところも、続けているところも、どちらも正しい」とおっしゃっていたそうです(伝聞情報)。そして、その上で「ホン(脚本)があって、役者がいて、お客様がいる限り上演する」と話していました(こちらは直接聞いた)。もちろん、その前提として「地震が起きてもこの劇場では対応可能」という判断が必要ですが。迷い考えて出した答えを私も支持して、楽しんでこようと思って足を運んだわけです。

 以下、ネタバレ含む感想など。
 あくまで「舞台」の登場人物ですからね。史実の彼らが本当にそうだったのかは、ご自分でご確認ください。

 お話が重たいので(三谷さんいわく「こんなときに限ってコメディじゃないんですよね」)、軽いところから。
 私の行った日も上演直前に地震がありました(震源地界隈では震度5。東京では3)。はじめは隣席の人が貧乏揺すりでもしているのかと思いましたが(失礼・蹴)、天井のスポットライト(PARCO劇場は客席の上の照明もスポットライト的な形のものがいっぱいついていた)がブラーンブラーンと大きく揺れている。うわ、地震だ。あの照明落ちてきたらマズいよ、と内心あせる。周囲もザワザワ落ち着かない。幸い照明が落ちてくるようなことはなく、上演も15分程度の遅れで開演。開幕前のご挨拶で、三谷さんが直前の地震について説明していました。三谷さんに地震の震源地や震度を説明してもらうってすごくない?(妙なところで喜ぶな)
 三谷さん絡みでいくと、もう1つ。この方、ときどき妙なところでちょろっと出演されるのですが(PARCO公演だと特に多いのかな)、今回は2幕開けたら指笛だか楽器だかを楽しげに吹いていました。幕が上がる前からピアノにまじって音がしたから何の音だろうと思ったらご本人が……何やってんスか(笑)。いかんなく腕を発揮していた三谷さんですが、やや遅れて登場してきた執事に「また出たなっ」と追い出されていました。ふふっ。
 この作品では音楽担当のピアニストさん(?)が舞台で生演奏を披露されていたのですが、演奏はもちろん、彼女の役者とのこまごまとした絡みも楽しかったです。


 「三谷作品」というだけで迷わずチケットをとったので、作品がナチ時代のことで、主役がゲッベルス(宣伝大臣)だということを、直前まで知りませんでした。ゲッベルス自身はよく知っています。中高時代の現代社会の授業で習ったから(マスメディアの力としてね)
 あらすじは、映画好きなゲッベルスが自分好みの作品を作ろうとして、役者や監督を集め、(各自の打算的な考えのもと)賛同の答えをもらうんだけど、ユダヤ人に関する「ある決定」の話が漏れてしまって、「ほぼ」全てにお断りされてしまう、というお話。「あのお方」の元で生きていくために、映画を作る(出演する)ために、何を我慢して、どんな矜持を守るか、というのが問われる作品です。
 最近映画を作っている三谷さんだからこそ、描きたかった話なんだろうと思った。お上に「こういう映画を作れ」といわれて、どこまで面従腹背するか。たくさんの人の命を、どこまで見て見ぬふりができるか。

 ユダヤ人が強制収容されることまでは目をつぶることができても、ガス室送りされることは許せない、と立ち去る人が多い中、エーリヒ・ケストナー(『飛ぶ教室』『二人のロッテ』などの児童文学作者)の立場が目を引きました。
 ケストナーは「断らない」という。彼はかつて堂々とナチスを批判した人物です。その結果、自らの小説を禁書扱いされて、公衆の面前で燃やされて、何年も作品を発表できない憂き目にあっています。自らの崇高な志を守った結果、彼は「存在しない人」になってしまった。息をするように当たり前だった「作品を書く」ことを断たれて、生きながら死んだような日々を過ごしていた。そこに差し出された悪魔の誘惑。書くことが許されて、それが認められて、「生きる」ことができる。
 不謹慎ですが、私は、全ての登場人物の見解の中で彼の考えに一番共感できる人間なのだろうと思います。「書く」ことを取り上げられて、何年も苦しみ続けて、そこに差し出された誘惑に勝てる自信は正直ないです。本当に身近な人がガス室送りにされない限り。

 私の話はさておいて。
 登場人物としては、ゲーリングとゲッベルスという共に芸術を愛するナチス所属の2人の対比が面白かった。絵画やオペラを愛する高尚なゲーリング閣下に対して、付け焼刃的な知識しかない(ただし映画を愛する気持ちはとても強い)ゲッベルス。ゲーリングにかつての勢いはなく、ゲッベルスは「あのお方」の信頼も厚い時の人。ゲッベルスはここぞとばかりに勝ち誇ろうとするけど、ゲーリングは現状を受け入れてしまっている。器の違いがみえみえ(笑)。それでも、二人とも芸術や映画を愛する気持ちは本物で、そこはきっとわかりあえている。
 そんな二人が、どちらも、強制収容所での今後を受け入れてしまっている。思うところはあるものの、それが「あのお方」の考えなら仕方ないって。そこが悲しい。
 最後の二人の問答は、質問を聞いた瞬間、答えがわかりました。どんなに愛しても、愛されることはない。切ないですね。

 役者ではヒムラー(ナチの警察ボス)の段田安則さんが素晴らしかった。笑いをとりながらシリアス場面で大活躍。設定もホンも素晴らしいのかもしれませんが、私は役者の技量に負うところも大きかったと信じております。
 同じく役者さんでは、ゲッベルス家執事の小林隆さんも素晴らしかった。前半からちょこちょこと美味しいシーンをさらっていたけれど、後半のコートをどさっと持ってくるところからラストシーンまで、全て素晴らしかった。ゲッベルス夫妻への恩と憎しみと、同胞への思いと、そして映画への深い愛情。さまざまな感情のいりまじった演技に胸を打たれました。こんなにすごい役者さんだったんだ、と今更感動(東京サンシャインボーイズ時代からの三谷さんのお仲間なので、そういう縁でキャスティングされることもあるのかと……ごめんなさい)

 最後に、台詞。パンフレットでゲッベルス夫人(石田ゆり子さん)が「一番罪深い」と思う台詞について、「なんでもないように」さりげなく言う指導を受けている、とあったので、注意して見ていたのですが、どの台詞が「それ」なのか、見ていてすっとわかりました。
 正直、私の耳にも痛かったです。私も、そうやって流して、後で気づいて後悔することが多いので。

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