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好きなところもあるけれど盲目的には愛せない
2011/11/06(Sun)
 二回目の観劇をしてきました。
 今回は貸切公演だったので銀橋場面の正義のヒーロー場面が「阪○交○社!」ってキメセリフで大笑いさせてもらいました。また、2階席から見たので、前回わからなかった場面もいろいろ見られたのは良かったと思います。ダルタニアンとルーヴォアの会話の背後で影絵があるのはじめて気づいたし、ショー後半の上手の贔屓さんもいっぱい見られて楽しかったです。2回目の観劇で、前回見られなかった分を補えたという意味では、おおむね満足しています。

 その上で、前回芝居で理解できなかった疑問点を解消し、その理由を考察したところ「宝塚のシステム」になじめないせいだろう、という結論に達し、微妙な心境になりました。

 以下、ぐだぐだした感じなので興味のある人だけどうぞ。

 前回感じた疑問点が「元・三銃士の無銭飲食」に端を発していることがわかりました。あそこを普通に酒場の場面にして、かつての四銃士の仲の良さを語ったり現在のフランス国王の横暴な政治を嘆いたりすれば、作品の背景がいろいろ理解できたと思うんです。それがなく、単なる軽いノリで無銭飲食をやるので、「三銃士やってたとはいえ、いまは無銭飲食せざるをえないほど落ちぶれてしまっているのか」と思ってしまったんです。結果、

●三銃士をやめた理由=銃士隊長ダルタニアンを見るに耐えて(ポルトス曰く)
  今の国王に失望していること、フランスの将来を憂えていることがわからず
   →三銃士の立ち上がる理由がアトスの私怨(+アトスへの友情)にしか見えない
●ルイが女と遊ぶシーンの比重が極端に大きくて、暴君&暗君に見えない
  女遊びはよくやるが、施政は映画ほどダメ人間ぷりを見せていない
   →執務場面少ないし、そこで出した命令もルーヴォアのせいにできちゃう
    (アトスが私怨に見えるから、もっとクズ王っぷりを見せてほしかった)
●ルイと入れ替わることをためらうフィリップをアラミスが諭すシーン
  無銭飲食者に「聖職者を目指す」と言われても真剣に聞こえない
   →フィリップが「ルイと入れ替わる決意をした」と伝わってこない
    (フィリップと三銃士の交流が全く描かれてないのも一因)
●フィリップと入れ替えたルイを閉じ込めて飲んだくれる
  コミカルなシーンというより、三銃士がただのバカだと改めて強調してるだけ
  (この後真相に気づいたダルタニアンにルイ奪回されるしね)
●逃げるフィリップとルイーズ(フィリップとアラミスの会話を誤解したままの場合)
  幽閉から解放されて行き場のないフィリップに、道は遠くてもかなうと諭す「ウサギとカメ」は変
   →ウサギとカメの話を聞いて「僕の目指す先が国王なのかわからない」というセリフがさらに補強(逆効果)
    (この場面は演出が「手段」ではなく「目的」なのがより興をそがれる……)
●元三銃士+フィリップ+ダルタニアンvs銃士隊+ルイ腹心の皆様
  かっこいいけど、三銃士とダルタニアンの関係の復活が、どうみても唐突すぎる
   →どちらもフランスの国情を憂えている描写があれば、理解できたのに
    (それが無理なら、せめて過去の強い絆を語っていれば汲み取れたのに)
●ダルタニアンの国王への反逆
  恋人の仇討ちのためだけに国王の入れ替えやっちゃうようでは、ただのバカだよ
   →ルイはダメだがフィリップなら、と思えるシーンをダルタニアンにあげてください
    (ダルタニアンがいい男でないと、銃士隊が国王より銃士隊長の言うこと聞く理由も薄いから)
      →つーか銃士隊(含・サンマール)がダルタニアンに心酔している場面は絶対必要だった

 ……まあ、上記はほんの一部なのですが、全体のストーリーを把握した上で各場面を見直した結果、総じて「必要な場面がなく、不要な場面が多い」のだと痛感しました。
 そして、その不満は全て「だって宝塚だから」の一言で片付くのであろうことも気づいてしまいました。

 冒頭の世界史講座とか一大ページェントは「いろんな組子たちの活躍する場面を作るため」に削れない。フィリップとルイーズの影絵のウサギとカメ場面は「トップコンビの見せ場を作るため」に削れない。三銃士がいい男のまま飲んだりする場面を入れないのは「トップ・二番手より目立たせてはいけない(時間配分的余裕もない)。コミカルシーンで緩急を作る必要がある」から。
 もともと2時間(以上)ある映画を90分のお芝居に縮めなくてはいけないのに、70人くらいの生徒たちに1人でも多く活躍できる場を作らなければならない、そして番手厳守でトップ以下に見せ場を与えないといけない。そんな制約でガチガチの中では、あの映画がこういう舞台になってしまったのも仕方ない、と理解できてしまったんですね。納得はいかないけど。
 私がミュージカル・ショーの2部構成の宝塚舞台をあまり見たことがなかったのは、1本物やバウ(青年館)公演の方が重厚なストーリーが多くて、そちらに惹かれるからなのでしょう。私は宝塚で好きなところいっぱいあるけど、ストーリー重視派の人間として盲目的に愛することはきっとできないのだろうと気づいた公演でした。

 ま、それでもまた宝塚見に行くけどね(笑)

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